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「子どもを産みたい」という一心で渡米を決意。50歳の初産で感じた人生の喜び

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ママになっても「自分自身も大切にしてほしい」――

 

そんな想いを掲げるネオママイズムが、さまざまなママの姿をお届けするneomamaismインタビューブログ。

 

Vol.28となる今回は、アメリカでラジオキャスターとして活動する、沢えりかさんがゲストです。

 

「子どもを産みたい」という強い信念を抱いてきた沢さんは、アメリカの不妊治療に魅力を感じて、46歳のときに渡米を決意しました。その後、現地で出会ったシングルファーザーの男性と結婚し、50歳で第一子を出産。わが子を腕に抱くまでに、さまざまな困難を乗り越えてきた沢さんに、高齢出産までの道のりと、現在の育児の様子を伺いました。

 

 

「子どもがほしい」という一心で渡米を決意。NYのクリニックでは「ドナー制度」を勧められ…

 

――これまでのご経歴について教えてください。

 

小学生の頃から芸能界に興味を持ち、劇団に入って演劇の活動をしていました。大学生になってからは、芸能事務所に所属して、本格的に芸能活動をスタート。アナウンサーとしての仕事を始めたのが30歳の頃でした。その後、約15年間をフリーのアナウンサーとして活動してきましたが、今後の人生を考えて、46歳のときにアメリカのニューヨークに移住することに。現地で知り合ったシングルファザーの男性と49歳で結婚し、不妊治療を経て、翌年に長男を出産しました。現在もニューヨークに拠点を構え、子育てをしながらラジオキャスターとして活動しています。

 

 

――渡米を決意した理由は何だったのでしょうか?

 

一番の理由は「子どもを授かりたかったから」です。アナウンサーの仕事は、やりがいもあり、楽しく取り組んでいましたが、年齢を重ねるごとに「このまま仕事ばかりしていていいのかな」という思いが募っていきました。

 

今後の人生について考えたとき、長年抱いてきた、「子を産んで母になる」という夢を諦めたくないと感じ、35歳頃から、当時お付き合いしていた男性と不妊治療に臨むことに。しかし、当時は未婚のカップルが受けられる治療の選択肢が少なく、なかなか良い結果には至りませんでした。結局、「子どもを授かったら結婚しよう」と考えていた彼とも、破局を迎えてしまい…。

 

それでも私は、「子どもがほしい」という思いを諦めきれず、40歳を過ぎた頃から、海外で治療を受けることを視野に入れ始めました。その後、幅広い選択肢があることを期待して、46歳のときにニューヨークに行くことを決意したんです。

 

――ニューヨークに移住してからは、すぐに病院を受診したのですか?

 

そうです。現地の婦人科で、評判の良いクリニックを紹介してもらい、すぐに受診しました。アメリカでは、子どもを望む人に精子や卵子を提供する「ドナー制度」が浸透しています。私が受診したクリニックでも、「あなたは高齢でパートナーもいないのだから、ドナーバンクにある精子と卵子を使って妊娠するのがいいと思う」と勧められました。日本とは異なる考え方に驚きましたが、アメリカでは養子縁組やステップファミリーも多いので、多種多様な家族の形があるのだなと改めて実感しました。

 

ただ、その時の私は、「自分と好きな男性の遺伝子を持った子を産みたい」という気持ちが強かったため、「まずはパートナーを探そう」と考えました。しかし、アメリカは日本の合コンのような出会いの場は少なく、マッチングサイトに登録するか、バーでナンパをされて知り合うくらいのもの。そこで、2つのマッチングサイトに登録してみることに。現地の友人からは「マッチングサイトで良い出会いがある確率は、15打席1ヒットくらいだよ」と言われていたこともあり、とにかく毎日のようにサイトをチェックして、気が合いそうな人とデートをしていました。数カ月で50人くらいの男性とデートをしたと思います。

 

でも、登録している男性の多くが「デートを楽しみたい」という人たちで、「結婚」を意識している人は少なく…。私が「早く子どもがほしい」と伝えた途端、ほとんどの男性が去っていってしまいました。

 

 

49歳でシングルファーザーと結婚。1回目の体外受精で第一子を授かった

 

――現在のパートナーとはどのように知り合ったのでしょうか。

 

夫とは、友人の紹介で知り合いました。初めて会ったとき、「これまでの男性と違うな」と直感したことを覚えています。最初のデートはセントラルパークでのピクニック。お互いに好印象で、その後もデートを重ね、交流を深めていきました。夫は私の3つ年下で、シングルファーザーとして娘さんの子育てをしているということも、早い段階で打ち明けてくれました。出会って半年後くらいに、正式にお付き合いすることになり、夫の娘さんとも一緒に遊ぶようになった頃、私からも、「子どもがほしいと考えている」と伝えました。すると、「娘に兄弟ができたら嬉しい」と同意してくれて。49歳のときに、夫と籍を入れ、不妊治療を進めることにしたんです。

 

――1回目の体外受精で、お子さんを授かることができたと伺っています。妊娠がわかったときのお気持ちは?

 

1回目の体外受精で妊娠できるなんて、本当に幸運だったと感じています。日本で不妊治療を行ってきたときから、何百本も妊娠検査薬を使って調べていましたが、これまで見たことのない「陽性」のラインが見えた瞬間は、嬉しさよりも「本当に妊娠できたの?」という不安の方が大きくて…。「翌日に陽性のラインが薄くなったりしないだろうか」と、写真を撮っては見比べて、「このラインがどうか消えませんように」と祈っていました。

 

――日本とアメリカの不妊治療について、違いを感じた点はありましたか?

 

日本とアメリカでは、治療で使う薬の種類や強さなども違うように感じていました。

 

でも、最も印象に残っているのは、「治療への向き合い方」です。日本で不妊治療を進めていたときは、ネガティブな気持ちになってしまうことも少なくありませんでした。しかし、ニューヨークのクリニックは、常にポジティブな雰囲気で満ちていて、初めて受診したときも、スタッフさんから「高齢だけど大丈夫。成功のためにチームで頑張りましょう!」と言ってもらえて、とても心強く感じました。治療中も、「絶対に妊娠できるよ!」と前向きな言葉をたくさんもらい、私の安心感につながったと感じています。

 

 

待望のわが子との対面。「この命を守らなければ」という使命感で満たされた

 

――出産時の印象に残っているエピソードを教えてください。

 

妊娠中は前置胎盤の疑いがあり、安静に過ごしていましたが、お腹が大きくなるにつれて正常な位置に移動したので、普通分娩で出産できることになりました。しかし、いざ分娩台に上がっても、赤ちゃんがなかなか下りてきてくれなくて…。長時間の陣痛と格闘した末、先生から「これで出てこなかったら帝王切開に切り替えよう」と言われてしまい、思い切りいきんだら、びりっと中まで裂けた感覚が…。それでも、最後の力を振り絞って頑張ったおかげで、赤ちゃんを産むことができました。

 

――命懸けの出産だったのですね…!待ち焦がれた赤ちゃんと対面したときの気持ちはいかがでしたか?

 

感動して泣いてしまうかもしれないと思っていましたが、いざその立場になってみると、「この命を守らなければ」という責任感の方が大きく、まったく涙は出ませんでした。「子どものためにも長生きしなければいけないな」と覚悟を決めた瞬間でした。

 

――50歳で初めての育児となりましたが、どのような点に大変さを感じましたか?

 

「高齢育児は大変」というイメージを持つ方は多いと思うのですが、実は、大変さを感じたことは、ほとんどないんです。買い物はインターネットで注文できますし、夫や、当時10歳の長女も、積極的に育児に関わってくれたので、むしろ「想像していたよりも楽」と感じたほど。

 

それから、これまでの経験の中で、「力の抜きどころ」を心得ていたのも良かったように感じています。もっと若い頃に出産していたら、100%の力で頑張りすぎていたのかもしれません。でも、年齢を重ねるとともに「頑張りすぎない」ということが、日常生活の中で身についていたので、家事も育児も、完璧を求めすぎずに取り組めています。あちこちに気を回しすぎてしまうと疲れてしまうので、ある程度「鈍感でいること」も大切だと感じています。

 

渡米前、友人から「そんなに高齢で子どもを作ってどうするの?育児は甘くない。子どもがかわいそうだよ」という厳しい意見をもらったこともありました。それでも「絶対に子どもがほしい」という気持ちは諦められませんでしたし、今、こうして幸せに子育てができているので、自分の意思を貫いて本当に良かったと感じています。

 

 

――日本の領事館に提出した「出生届」の手続きが大変だったそうですね。

 

そうなんです。日本の領事館に息子の出生届を提出したとき、「私が産んだ」ということを、なかなか認めてもらえなかったことはショックでした。

 

当時は、50歳以上の人が産んだ場合は、審査が必要だったようです。海外で出産した場合、母親と父親の両方の国のパスポートを取得することになるのですが、日本の領事館のスタッフさんから、「審査のために、あなたが出産した証拠を提出してほしい」と言われました。エコー写真や出産したときの写真などをかき集めて提出しましたが、申請が通ったのが半年後。ようやく戸籍に反映してもらうことができてホッとした一方、「高齢出産」への対応や制度に若干の疑問を感じた出来事でした。

 

 

――現在、息子さんは7歳になったと伺っています。日々の子育てをどのように楽しんでいますか?

 

これまでの人生で味わったことのない気持ちを、たくさん感じることができています。息子は野球が大好きで、リトルリーグに入って練習しているのですが、初めてピッチャーとしてマウンドに立ったときには、抑えられないほど胸がドキドキしてしまって。練習に行く息子のためにお弁当を作るのも楽しくて、まるで「彼氏のためにお弁当を作っている」かのような、ワクワクした気持ちで作っています。57歳になった今も、新しい経験を積み、新鮮な感情を感じることができていて、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

――パートナーの娘さんとの関係はいかがですか?

 

17歳になった長女とは、友達のような関係性が築けていて、一緒に料理をすることもあります。息子の面倒もよく見てくれているので、仲の良い兄弟関係です。今後も、兄弟支え合っていってほしいですね。

 

アメリカでは、家族同士でハグやキスなどのスキンシップをするのが当たり前です。息子や娘が大きくなった今でも、「いってきます」のときにはキスをしますし、「愛してるよ」と気持ちを伝え合うのも日常的。そうすることで、絆が深まっていくのかなと感じています。

 

――今後の展望や新しくチャレンジしたいことを教えてください。

 

人生は一度きり。やりたいことにどんどんチャレンジしながら、子育てを楽しんでいきたいと考えています。また、子どもたち2人が独立した後も、「自分がやりたいこと」を楽しめるようにしたいなと感じています。今、キャンドルづくりにハマっているので、今後も趣味として楽しんでいきたいですね。

 

 

沢えりか様の役に立ったおすすめグッズ

 

(1)  ベビーネスト

自宅にある生地や枕の綿を使って、手作りのベビーネストを作りました。赤ちゃんをネストに入れて抱っこしたり運んだりできるので、とても便利でした。

 

(2)プロバイオティクススプレー

https://p2probioticpower.com/allergy-spray-10oz/

善玉菌のスプレーで、感染症予防やアレルギーの抑制に効果が期待できると言われています。息子が風邪気味のときや、娘の花粉症の緩和のために、お顔にシュッとかけて使っています。

 

 

プロフィール

 

沢えりか

ラジオキャスター

1967年生まれ。アメリカ・ニューヨーク在住。フリーアナウンサーとして、日本でキャリアを重ね、46歳のときに渡米。49歳でシングルファーザーと結婚し、不妊治療を経て、50歳のときに第一子を出産。現在もパートナーとともにニューヨークに暮らし、ラジオキャスターとして活動しながら、17歳の長女と7歳の長男の子育てを楽しんでいる。

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