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育児の正解は、自分たちが決める。最善を探り、切り開いてきたからこそのいま

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ママになっても「自分自身も大切にしてほしい」――

 

そんな想いを掲げるネオママイズムが、さまざまなママの姿をお届けするneomamaismインタビューブログ。

 

Vol.18となる今回は、2500の成分を”使わない”、環境にも人にも優しいコンシャスビューティーブランド「CONCIO(コンシオ)」を立ち上げた木本惠子様がゲストです。

 

もともとコンサルティングファームでキャリアを積んでいた木本様。出産を機に育児に集中する生活にシフトすることになり、大きな葛藤を抱えたなかでのスタートだったそうです。しかし子育てに夢中になり、あっという間に2人のお子様は現在高校生に。幼少期から子どもたちの主体性を尊重し、いまは海外の学校への進学を検討しているそうです。

 

自分の人生を歩むことと、子育てのあいだで揺れ動いた気持ち。健康の尊さと、大きな病気を経て気づいたかけがえのない大切なもの…親子にとって一番いい道を探り、切り開いてきた木本様の姿から、育児に正解はないと背中を押してもらえることでしょう。

 

 

 

思いがけない妊娠、戸惑い。でも産んだ瞬間、あまりの可愛さに…?

 

――現在、2500の成分を”使わない”、環境にも人にも優しいコンシャスビューティーブランド「CONCIO(コンシオ)」を手掛けていらっしゃいます。これまでのご経歴を教えてください。

 

大学卒業後コンサルの仕事に就いたのですが、その後、長年の友人が始めたインテリアブランドの立ち上げに携わりました。2020年に食品ベンチャー企業フラット・クラフトに参画し、同社取締役を務めました。2022年には「MALOU」を設立して代表取締役に就任し、いまは自分のブランドを育てるべく奮闘しています。

 

 

――もともと、ご自身のブランドを作るのが夢だったんですか?

 

そんなことはなくて、本当に私、目的意識のようなものを持たずに生きてきたタイプなんです。 自分が起業するなんて想像したこともなかったんですけど、ただ、高校生のころから「早く働きたいな」とは思っていて。私にとって、学校は居心地が非常に悪い場所だったので、早く社会人デビューしたいなとずっと思っていたんです。
なので、新卒で小さなコンサルティングファームに入りました。ほかの就活生と同じ格好をして、なんだか画一的に就職活動をすることに違和感があり、興味があったPRやファッション関係の企業を手探りで探していくなかで、新卒採用の募集もしてない会社にひたすら手紙を送ったんです。

 

――それはすごいガッツですね…!

 

いまだとインターンを受け入れてる会社もあると思うんですけど、もう20年ほど前の話なのであまりなかったんですよね。なんとかして就職活動せずに社会に潜り込めないかと思って手紙作戦を実施したら、ご興味持ってくださった社長さんがいらっしゃって、その会社に就職しました。クライアントワークの面白さも実感してはいたのですが、働くうちに、コンサルタントとしての自分の将来が見えにくいなと思って。そんななか、思いがけず26歳で最初の子どもを授かったので、そのまま会社に在籍していたんです。

 

――突然の妊娠ということですが、どんな心境だったんでしょう?

 

「バリバリ働くぞ!」ってキャリア思考が強かったので、まさか自分が妊娠しているとはという感じで本当にびっくりして。 びっくりして、どうしていいのか分からなさすぎて、病院で先生の前で泣いちゃったんです。心の準備なんかまったくできてない、これから仕事も楽しくやっていこうって時期ではあったので、戸惑いがすごくて。

 

 

――その戸惑っている心境から、妊娠期間中が楽しくなった気持ちの変化には、きっかけがあったりしたんですか?

 

パートナーとすんなり結婚が決まって、母親に電話したんですよね。そしたら第一声が「覚悟を決めなさい」で。「あなたの覚悟ひとつだから、とにかく覚悟を決めなさい」とだけ言われて、ブツって電話を切られたんですよ。「そうか、覚悟だよな。じゃあ産もう」って決めた瞬間、楽しもうという気持ちに切り替わりました。

 

――それで会社にも報告して?

 

思っていた以上に、まわりの人が「良かったね」とか「うれしい」と言ってくださって、これって実はすごい幸せなことなのかもって思い始めたんです。 それでちょっとずつ、母性というか、子どもを産むんだという実感が芽生えてくるとともに、楽しめるようになったのかなと思います。

一方で小さい会社だったので、産休・育休の制度自体がまだ整っていなくて。私の妊娠がきっかけで、制度を定める運びになりました。

 

――当時は、育児をしながら働くロールモデルもあまりなかった?

 

おっしゃる通りですね。20年前の話でSNSもなかったので、私のまわりに子育てしながら働いてる女性のロールモデルがあまりいなかった。それこそ、妊娠中にどうやって過ごすのがいいのか、どこまで仕事をしていいのか、そんな基本的なところも分からなくて。出産予定日の3週間前、臨月ギリギリまでちゃんとスーツ&パンプスで普通に働いていましたもん。

 

――キャリア思考だった気持ちとは、どのように折り合いをつけましたか?

 

出産する瞬間までは、いつ復帰しよう、どのタイミングで復帰できるだろうって、出産が自分のキャリアにとってマイナスにならないよう最短コースで復帰するにはどうすればいいかを考えてたんですけど…産んだ瞬間に、もう、180度変わっちゃって!

こんなに可愛い子を、他人の手に委ねられない、私が育てたいと思うようになったんです。
もともと、ひとつのことにフォーカスして、責任感が強いタイプだったんです。それが仕事に向いてたのが、子どもを産んで顔を見た瞬間、完全にその気持ちが育児にシフトしちゃって。 自分でもびっくりするくらいの大きな変化でしたね。

 

 

――出産後、メンタルが落ち込むことはありませんでしたか?

 

そういうものはなかったですね。いま思うと、大人に対しては「なんでこうしてくれないの⁉︎」みたいな憤りはあったんですけど、子どもに対しては「こんなに可愛い存在がいるんだったら、誰か早く教えておいてよ!」みたいな感じで(笑)。

 

 

シングルマザーになる選択。子どもたちと過ごした濃密な時間

 

――当時、男性の育休や育児参加もいまほど定着していなかったと思いますが、そのあたりはいかがでしたか?

 

パートナーは不規則な仕事をしていて、1週間家に帰ってこないこともふつうにありましたし、そこは私も最初から期待してなかったですね。母からの電話でもう、私が育てると覚悟を決めていたので、ワンオペはそういうもんだと思っていました。逆に、赤ちゃんに触らないでほしいっていうヘンな独占欲みたいなものがあったかもしれません。

 

――そんななか、お二人目のお子さまを妊娠されたんですね。

 

ちょっとこれは特殊なんですけど…子どもが生まれてから、夫婦のあいだで価値観の違いや子育てに対する考え方の違いが浮き彫りになって、このまま結婚生活を続けるのは難しいかもしれないなと思い始めたんです。でも私は、自分がそうだったので兄弟がいる楽しさを子どもに伝えたくてもうひとり子どもが欲しくて。 2人目が生まれると何か変わるかもしれないというわずかな期待で、私的にちょっと計画的に、1歳半離れて妊娠したんです。

 

――ええっ!それは思い切った行動ですね。結果的におひとりで、乳飲み子を抱えてシングルマザーになる選択をされたんですね…

 

まわりにも、すごく心配されました。離婚が決まる少し前から、里帰り出産で関西の実家にいて。出産後も、このままここにいようかなという流れで、夫とも話し合って別れに至り、親にもサポートしてもらって。

私、コンサルティング会社は2人目を出産して間もなく退社しちゃったんですよ。なので一時は何も肩書きのない状態で、実家に経済的にも頼らせてもらった時期がありました。

キャリア的にはものすごく挫折感があったんですけど、いま振り返ると、あの時に子どもたちと濃密な時間を過ごせたことはいい選択だったかなと思うんです。

 

 

――お仕事をされていないとなると、保育園にも預けられないと思うので、ずっとお子さんと過ごされていたんですか?

 

そうですね。「子どもが小学校に上がるまでは親であるあなたが自分で育てなさい」って母に言われて、私もキャリアの代わりに子育てをするんだって気持ちでした。保育園には預けず、幼稚園に通わせて、小学校に通うまではずっと家で子どもと一緒で。

気分が滅入りそうになる時もあったけど、 あの時間はかけがえのないものだったなと思います。

 

 

何より大切にしてきたのは、子どもの気持ちを尊重すること

 

 

――5年ほど育児に専念されていたとのことですが、その後のキャリアの劇的な復活劇はどのようなものでしたか?

 

劇的なんてものではなかったんですよ。ちょうどそろそろ働いてもいいかなと思っていたころに、東京の友人からブランドを作るから仕事を手伝って欲しいと言われたのがきっかけでした。

いまから10年ほど前なのでリモートワークなんてものはまったく普及していなかった頃に運良く在宅でできる仕事でしたので、子育てとの両立が可能でした。アルバイトのような働き方でしたし、自分は特化したスキルはないけれど、それこそ「なんでもやります!」の精神で仕事をしていましたね。

 

そこで6年ほど働き、その後は自分の興味のある会社に求人応募し採用していただいたり、その会社で取締役になり、その後は起業と…言うなればステップバイステップでしたね。

 

――なるほど。劇的ではなく一歩一歩時間をかけられて着実にキャリアの再形成となった感じですね。それは新米ママで育児とキャリアの両立に悩んでいる人に希望が持てるお話です。

 

そうなんです。育児に専念している間はそれこそ社会的に「職業なし」夫もいないので「主婦」にもなれない。自分が何者かもわからなくて、他の同年代の友人が着実にキャリアを形成する中で焦りみたいなものを感じていた時期もありました。でも過去を振り返ってみると子どもが小さい時期に育児に専念していたことに後悔はないですし、結局は10年かけて同年代と同じキャリアに戻れてきているので!

 

いまって仕事と家事育児は必ず両立しなきゃいけない、キャリアを捨ててはいけないっていう風潮が結構あると思うんですよね。でも「私みたいなひともいるから、一回休んだって大丈夫だよ!」と伝えたいですね。

 

――ほんとですね!そしていま、そのお子様が海外に進学されるそうですが、ご本人のお気持ちを尊重して、でしょうか?

 

そうですね。上の息子が高校3年生なんですけど、彼は中学生ぐらいの時から「僕は海外に行く」ってずっと言っていて。行きたかったら行けばいいと言っていたんですけど、いよいよ自分で、興味がある事業の運営や、経営、ビジネスを学べる大学を調べたりしています。
私、子育て、育児において、子どもの何かやりたいという気持ちや、自主的に芽生えている気持ちをとても重要視してきたんです。産む時に覚悟を決めなさいって言われて、自分なりに覚悟を決めた時に、子どもは自分とは違う生き物で、考え方も性格もまったく違う人間であると思ったんです。

 

――というと?

 

私には私の人生があって、私の人生にその子が脇役として登場してくれたけど、その子はその子が主人公の人生を生きていくので、 あくまで親の役割は、その子が自分の人生を自分で考えて生きて、生きて、進んでいって、失敗しても立ち直って、もう1回進んでいくっていうことができるように、育て上げること。だから、自主性を伸ばすために何かやったというよりも、その子が人生をどう思ってるかとか、その子が何に興味があって、どうしたいかっていうのをサポートする子育てを、いま振り返ると、できたんじゃないかなって思います。

 

――進学の話以外にも、習い事とか、どこで遊びたいとか、日常の些細なことでも、それは意識されていたんですか?

 

そうですそうです。もうすべて、幼稚園生くらいのちっちゃい時とかからです。でも、なんでもかんでも好きにさせるのではなく、社会の一員として必要なルールや他者との関わり方における心の持ちようとか関わり方っていうのは、やっぱり親として教えるのが義務だと思ってたので、そこは教えつつ。たとえば幼稚園に持っていくものも、出来る限り、どれがいいの、なんでそれがいいの、じゃあそれにしようって決めてきました。 それ以外のことについても、本人が言ってくるまでは私からは何も言わずにいて。

そうしたらひとつだけ、長男が幼稚園生の時に「僕、修行がしたい」って言ったんですよ。それで、近くで通えるところを見に行ってみたら、空手にすごく興味を持って「これが俺の求めてた修行だ〜!」みたいな(笑)。結局、小学校6年生までやり続けました。

 

 

――参考にさせていただきたい考え方です。いまは育児は手離れしつつあり、お仕事は自分のペースでという感じだと思いますが、育児と仕事が影響し合う部分ってあると思いますか?

 

前職で、海外の展示会に出る際に子どもを2人とも一緒に連れて行ったんです。3週間ほど滞在していると、日本以外の世界に触れられて。それが私の仕事を通じて、彼らの世界が広がるタイミングかなと思いました。小さいところだと、仕事の話を相談するとかは、子どもたちにとって進路を考える際や、価値観の件で刺激になったんじゃないかなと思います。

逆に、育児が仕事に与える影響の方がもう圧倒的に多いなと思っていて。やっぱり女性は子どもを生むことで、生活や世の中の見方、考え方、忍耐力など変わっていくと思います。人間的に成長したなと個人的に思うんですが、それが仕事に生きてると思うことは多々あります。 

 

 

大病を経て気づいた、自分のコア。「住所不定でいたい」今後の目標

 

 

――なるほど。お仕事の活力は、何かありますか?


私、一度キャリアが中断したタイミングで、命に関わる病気もしてるんですよ。脳出血をして、半身麻痺が残るかもしれないという可能性があって。いまは元気なんですけど、その時に自分の人生において、何が1番自分は大切なんだろうって突きつけられたんですよね。明日、自分がどうなってるかわからない。病院のベッドの上で、管に繋がれて、天井を見て寝てる時に、もっと子どもとお出かけしたかったなと思ったんです。そこで、自分の人生で一番大事なことってそれなんだなって気づいて。それからは、毎日美味しいご飯を食べる時間とか、何気ない時間を大切にしていて。その幸せを最大化するために、仕事しようと思ったんです。

 

――大きな病気をされて、大切なものが浮き彫りになったんですね。

 

そうですね。仕事で自己実現をすることうよりも、自分の幸せをどうやったら大きくできるか、たとえば単純な話、収入が増えれば美味しい食べ物をもっと食べられる、行きたい範囲を広げられるって思って。そのベースにあるのは、子どもたちと楽しい時間を過ごすことが自分の幸せのコアだってわかったので、そこからは全然迷いがなくなりました。

 

――いま手掛けられているビューティーブランド「CONCIO(コンシオ)」は、自分のなかで生活とのバランスがしっくり来られている感じなんですか。

 

そうですね、発売したのは去年なんですけど、最大の幸せだった子どもたちが間もなく巣立っていくので、自分が思い描いてた幸せがまた変わってくるなって思って。第3子じゃないですけど、手をかけて育てていけるものが「CONCIO(コンシオ)」 だったんです。それがひいては、子どもに誇れて、ユーザーさんや環境のためになるものを作れればいいなと。食品とか色々考えたんですけど、化粧品だと自分の強みも生かせるかもしれないし、いいものを作れるかなとしっくりきてやっています。

 

 

――やりがいは、なんですか?

 

買ってくださった方が、お礼を言ってくれる瞬間ですね。もちろん自信をもって世に出しているのですが、本当にそうやって感じてくださる方がいるんだ、みたいな。これからは、ブランドをもっと使っていただける方を広げていきたいなと思います。

 

――今後は、どんな生活を思い描かれていますか?

 

海外含め、好きな場所で生活したいですね。第一子を授かった時、実はヘッドハンティングで海外に誘われていて。その想いもあって、拠点を海外に移していろんな国を巡るのはずっとやりたかったことだったんです。いまは「お母さんはこれから世界中のどこにいるかはわからない、住所不定になるのでよろしく(笑)!」って話しています。

 

もう1つは、子育ての渦中で悩んでる方を、何かの形でサポートするようなことをライフワークとしてやっていきたいなと考えています。自分がキャリアを途中で頓挫して「私はこれのプロです!」って言えることがないキャリアだなって思っていて。でも、子育てに関してはやりきった感があって。それを押し付けるかたちではなくて、こういうやり方もありますよって伝えて、誰かの心が楽になったり、子育てを楽しく取り組めたりするんだったらと思うんです。まだぼんやりとしていますが、これから取り組んでいきたいことです。

 

 

 

木本惠子様の役に立ったオススメグッズ

 

アイテム①食器

子ども用だと大人になったら使えないものも多いと思うんですけど、私は長く使えるものがいいなと思い、陶器のものとかを選んで使うようにしていました。 

 

アイテム②段ボールのベビーベッド

フィンランドで、妊娠すると全員が国からもらえるマタニティボックスがすごく可愛いんですよ。そのボックスは箱がベビーベッドになるんです。それを参考に、上の子と一緒に段ボールに絵を描いてベビーベッドがわりにしていました。

 

 

プロフィール

 

 

 

 

木本惠子 株式会社MALOU代表取締役

 

 

早稲田大学卒業後、コンサルティング会社に入社し、外資系ITクライアントを担当。

2013年フリーランスとして国内インテリアプロダクトブランドの立ち上げに参画したのち、2020年に食品ベンチャー企業フラット・クラフトに参画、同社取締役を務める。

2022年MALOUを設立し、代表取締役に就任。2023年11月に2500種類の成分を使わないスキンケアブランド「CONCIO」をローンチ。

 

CONCIOウェブサイト:https://concio.jp/

CONCIOインスタグラム:https://www.instagram.com/concio_official/

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