「せっかく出会えた人間同士なのだから」子どもも自分も大切に楽しむ子育てライフ
写真:松本慎一
ママになっても「自分自身も大切にしてほしい」――
そんな想いを掲げるネオママイズムが、さまざまなママの姿をお届けするneomamaismインタビューブログ。
Vol.19となる今回は、編集者としてさまざまなメディアに携わる藤田華子さんがゲストです。
幼少期より編集者を志し、約14年間、雑誌やWebメディアの編集に携わってきた藤田さん。2023年11月に第一子を出産し、翌年4月に仕事復帰してからも、自身の好奇心や興味を追求しながら、充実した毎日を過ごしています。
「子どもとは、せっかく出会えた人間同士なのだから、お互い好きなことをして楽しい時間を共有できたら理想です」と話す藤田さんは、産後も趣味の映画や友人との外出を楽しむなど、育児とやりたいことを両立させている姿勢がとても魅力的。さらに現在は、和装の師範免許を取得するために勉強中とのこと。そんな藤田さんに、自分らしく日々を楽しむためのヒントを教えていただきました。
子宮内膜症を患ったのが「子ども」を意識するきっかけに
不妊治療を経て第一子を妊娠
――子どもの頃から編集の仕事に憧れていたという藤田さんに、これまでのご経歴を伺いたいと思います。
幼少期に祖母が毎晩読み聞かせをしてくれていた影響で、本を読むことが大好きでした。田舎に住んでいて娯楽も少なかったので、自宅にあった雑誌や写真集を隅から隅まで読んでいて。中学生になってからは、撮影で使われているスタジオが特定できるようになったり、カメラマンさんを見分けることができるようになって、「私ならこんな風に撮りたい」「インタビューではこんな質問をしてみたい」という目線で見るようになりました。自然と「編集」という仕事に憧れを抱くようになっていったんです。
大学卒業後は、希望していた音楽雑誌の出版社に入社して、邦楽ロックの雑誌制作に携わりました。25歳の時にはフリーライターとして活動し始めましたが、コンテンツマーケティングの需要の高まりを鑑みて、Webマーケティングに強みを持つ企業に就職。その後は複数のWebメディアに携わり、編集スキルとともにマーケティングの知識も深めていきました。
――結婚後もしばらくは仕事や趣味に打ち込んでいたそうですが、「子を持つこと」を意識したきっかけは何だったのでしょうか?
子宮内膜症を患ったことが、子どもを意識する大きなきっかけになりました。30歳のときに子宮内膜症の一種であるチョコレート嚢胞の診断を受け、しばらくは経過観察を続けてきましたが、33歳で結婚したときには嚢胞が大きくなっていて…。主治医の先生から「妊娠を考えるか、手術するか早く決めたほうがいい」と言われました。
以前の私は「もっと仕事を頑張りたいし、もっと遊びたい」と、子どもに意識が向かなかったのですが、この頃には「子どもが欲しい」という気持ちに。夫と話し合って不妊治療を選択し、最短での妊娠を目指すことにしました。
写真:土田凌
――不妊治療を始めた当時のことを教えてください。
治療については、夫が積極的に動いてくれたので、とても助かりました。私より先に評判の病院を調べ、なかなか予約が取れないなか、連日キャンセル枠をこまめにチェックして予約を取ってくれて。
治療もとてもスムーズで、1回目の人工授精で妊娠できました。妊娠がわかる前、「早くママに会いたいよ」と声がするる夢を見ていたので、「もしかしたら?」とは感じていたんです。
――素敵なエピソードですね…!妊娠して、体調の変化などはありましたか?
幸いなことにつわりは一切なく、嗅覚や味覚の変化もなかったため、妊娠前とあまり変わらない生活を送ることができました。もともと友達と外食するのが好きだったので、その日の体調を見ながら無理のない範囲で、居酒屋さんでホッピーの外やノンアルコールビールを飲んで楽しんでいましたね。
「ただ1人の妊婦がいるに過ぎない」さくらももこのエッセイに励まされた妊娠期間
――妊娠期間にやっていてよかったことを教えてください。
日記をつけていたことでしょうか。子どもの頃、祖母と「毎日日記をつけること」を約束し、それ以降、大人になってもずっと日記を綴ってきました。妊娠する前はサボりがちでしたが、妊娠をきっかけに再び日記をつけ始めるように。
胎動がわかった日のことや、つらい気持ちになった日のことなど、今読み返しても興味深いです。妊娠は限られた時間。妊婦として感じたことを、きちんと残すことができてよかったと感じています。
――妊娠中もポジティブに過ごされてきた印象ですが、気持ちが落ち込んでしまうことはありましたか?
たくさんありました。「妊娠中は落ち込みやすい」と言われますが、本当にその通りで。仕事に復帰できるのか思い悩んだり、どんどん変わる体型に不安を感じたり…。これまでの自分がなくなってしまうような気持ちになって、涙があふれることもありました。
そんな時は、本を読んで気を紛らわせていました。よく読んでいたのが、作家さんの妊娠や出産の体験を綴ったエッセイ。他の方の体験談を読むことで、不安な心を立て直すことができたんです。特に、さくらももこさんのエッセイ『そういうふうにできている』のなかにある「ただ1人の妊婦がいるに過ぎない」という一文がとても励みになって。妊娠は自分の中では大ごとだけど、社会的にみたら大事件ではないんだよなと、冷静に受け止められるようになったことを記憶しています。
切迫早産で緊急入院。笑いに包まれた手術室でわが子と初対面
――出産時のエピソードを教えてください。
里帰り出産をするために、地元の病院で検診を受けたんです。そしたら、初診で行ったその日に切迫早産で緊急入院することに!赤ちゃんがお腹のなかで横になっている「横位」という珍しい姿勢になっていたんです。
その日から、24時間点滴をしたまま「なるべく動いてはダメ」と指示されて…。約1カ月間ベッドの上で過ごすことになり、ひたすら映画やドラマを観まくりました。
その後、たまたま主治医の先生がお腹の外から赤ちゃんを回転させる「外回転術」の名手だったこともあって試みたのですが、翌日にはやっぱり横位の姿勢に戻ってしまって。結局、帝王切開で出産することになったんです。でも、頚椎麻酔の管がなかなか入らず…。1時間半ほど刺し直しが続いたのが、一番苦しい思い出です。
そのあとは、すごくスムーズで、先生や看護師さんと小話をしているうちに「赤ちゃんが出てくるよ!」と言われて。
――赤ちゃんと初めて対面した時の気持ちはいかがでしたか?
感動するかと思いきや、生まれたての赤ちゃんが予想以上に面白い顔をしていたので、爆笑してしまいました(笑)。まだお腹を縫う前の瞬間だったので、「そんなに笑ったら、縫合できないよ!」と先生に言われたほどでした。
まわりのサポートのおかげで、母になっても新しいことに挑戦できる
――産後はどのように過ごされたのですか?
里帰り出産だったのですが、母の仕事が忙しく実質育児ワンオペ&実家の家事もするという大変な状況になってしまって(笑)。それでも、里帰りを選んだのは親孝行したいという意図もあったので、私にとってはかけがえのない時間でした。
東京に戻ってからは、夫が2カ月間の育休をとっていたので、一緒に赤ちゃんのお世話をすることができました。赤ちゃんの口が小さく母乳が飲みづらかったため、早い段階でミルクに切り替え、「母親にしかできないこと」がない状態で育児をスタートできたことも、結果的に良かったなと思っています。生まれた直後から、同じ比重で育児ができました。
――パートナーが積極的に育児に参加してくれたのが、その後の生活に大きく影響したのですね。
遊びに来た友人に「育児を手伝っててえらいね」と言われた夫が、「手伝ってるんじゃなくて当事者です!」と胸を張って言っていて(笑)。私はそのシーンがすごく嬉しく、いまでも記憶に残っているんです。おかげで、産後もすぐに仕事に復帰することができ、これまで通り自分の時間を持つことができています。
出産から2カ月後には、1000人の観客を前に、趣味である将棋のイベントで司会を務めることもできました。いわゆるマミーブレインでボーッとしてしまうことがあって、言葉が飛んでしまわないか心配だったのですが、家族みんなが「やってごらん」と応援してくれ、母や祖母、赤ちゃんの前で何度も練習して…そうして挑戦できたことがとても嬉しかったですし、赤ちゃんに「お母さんはこんなこともできるんだよ!」と示すことができて良かったです。
――産後に和装を始めたそうですが、きっかけはあったのでしょうか?
高校時代は茶道部に入っていたこともあり、和装は昔から好きだったのですが、産後の体型の変化がきっかけですね。着物は、年齢を重ねても時々の着こなしで長く楽しめますし、改めて着付け教室に通ううちに、和装の魅力にはまっていきました。
今は師範免許を取るため、毎週土曜日に学校に通っています。順調にいけば、免許が取れるのは2025年の12月。より和装の文化を学び、いつかそれを広める活動ができたらと考えています。
育児、仕事、プライベート。時間を作るためのコツは「だいたいを愛すること」
――育児や仕事、趣味にお忙しい藤田さんですが、両立するために工夫されていることはありますか?
完璧ではなく、「だいたい」を愛することです。洗濯物はたたまずに、各々の箱に仕分けて入れるだけでアイロンは各自が担当します。お掃除ロボットに掃除をお任せし、市販のベビーフードを頼ることもしょっちゅうです。
夫が食器洗いをしたときに、たとえ洗い残しがあっても「ありがとう!」と伝えて、アレルギー食品を食べていないのなら細かいことは気にしません。命や健康に関わらないのであれば、大抵のことは「まあ、いっか」で、みんなが笑顔でいられる方を優先させるスタンスです。
――母親になっても、ご自身の好奇心や興味を追求して、楽しく日々を過ごす姿は、赤ちゃんの目にも魅力的に映ると思います。
時間も体力も限られているので、写真の通り毎日本当にクタクタで、がむしゃらという感じです(笑)。
でも以前から「子どもを産んだからといって、自分の人格の全てが『母親』になってしまうのは寂しいな」と感じていました。私は、それまでの自分も、生活スタイルも、気に入っていたんだと思います。だから、半ば意地になって「私は私のまま」の生活を送ろうとしているのかもしれません。
その象徴のような話なのですが、赤ちゃんが4ヶ月のとき、ミルクをあげる時間やお昼寝の時間を使って、好きな映画をたくさん観よう!と思ったんです。『18歳までに子どもにみせたい映画100』という本をガイドに1ヶ月で42本観たんですけど、赤ちゃんもミュージカル映画ではノリノリで、コメディは笑い声に釣られてニヤッとしたりしていて、ひとりで観るより何倍も楽しかったです。
――ご自分の好きなものを諦めない姿勢が伝わってくるエピソードですね。
教育番組の「ノッポさん」の受け売りなのですが、彼は、子どものことを「小さい人」と呼んでいるんです。子どもにも大人にも敬意を持って接するその考えが素敵だなと感銘をうけて。赤ちゃんには「せっかく出会えた人間同士なのだから、お互い好きなことをして楽しい時間を共有できたらいいね」と話しかけています。もちろん赤ちゃんは言葉で意思表示ができないので、赤ちゃんにとっての安全・安心を第一に考えることを前提にして、です。
だから、仕事終わりに保育園に迎えに行って、そのまま抱っこ紐で赤ちゃんフレンドリーな立ち飲み屋で一杯飲んでから帰宅する日もあります。こんな風にやりたいことや好きなことを我慢せずにいられるのは、夫をはじめとした家族や、友人、地域、周囲のサポートのおかげだと思います。都度最適を探りながら、感謝しながら、引き続き毎日を楽しんでいきたいです。
写真:杉能信介
藤田華子様の産前産後に役に立ったオススメ書籍
①母の友
「子どもは大事、わたしも大事」をテーマにした月刊誌。
https://www.fukuinkan.co.jp/maga/detail_haha/
母親という自分と、私のバランスをどうとったらいいか思い詰めていた時期、心にやさしい風を吹かせてくれるような記事たちに救われました。定期購読し、insta LIVEなどの発信も楽しみにしています。
②18歳までに子どもにみせたい映画100
サブスクでいろんな映画の選択肢があるなかで、何を観るかガイドになりました。赤ちゃんが物心ついた時、好みの映画を見つけて、人生のお守りのようになればいいなと思います。
プロフィール
藤田華子
編集者
栃木県出身。小学生の頃から編集者の仕事に憧れ、大学卒業後は音楽雑誌の出版社やWebマーケティングに特化した企業で編集スキルを磨く。2023年に第一子を出産。産後4カ月で仕事に復帰する傍ら、趣味で和装を始めるなど、プライベートも充実した日々を送っている。