二拠点生活で育児と仕事を両立。「家族の幸せ」と「自分のやりたいこと」のより良いバランスを探して
ママになっても「自分自身も大切にしてほしい」――
そんな想いを掲げるネオママイズムが、さまざまなママの姿をお届けするneomamaismインタビューブログ。
Vol.29となる今回は、スタイリストとして活躍する知念美加子さんがゲストです。
子どもの頃からファッションに興味を持ち、22歳でスタイリストとしてのキャリアを歩み始めた知念さん。結婚、出産後も、意欲的に仕事に取り組み、東京と沖縄の二拠点生活を続けながら、育児と仕事に向き合い続けています。今年7月、第三子を出産された知念さんに、これまでの歩みと、キャリアと育児のバランスの取り方などを語ってもらいました。
オーストラリアの滞在がきっかけで「自分のファッションを発信したい」という気持ちが芽生えた
――これまでのご経歴について教えてください。現在の職業に興味を持ったのは、いつ頃だったのでしょうか?
「スタイリスト」という職業を知ったのは、小学校低学年の頃でした。当時の私は、『ご近所物語』という漫画が大好きで、主人公が目指していたファッションデザイナーという仕事に興味を持ちました。ところが、漫画の影響からか、友だちの多くが「将来はデザイナーになりたい」と言うようになり、私は「みんなと同じじゃ、つまらない」と考えるように。そこで、図書館に行って「ファッションに関する仕事」を調べてみたところ、「スタイリスト」という職業があることを知ったのです。
でも、「スタイリストになる」という夢を掲げて、行動を起こしたのは22歳になってからのこと。それまでの私は、「将来何になりたいのか」を明確に描けず、モヤモヤした時期を過ごしていました。高校卒業後の進路についても、なんとなく「美容系の専門学校に行こうかな」と考えて母に話したところ、母から返ってきたのは「自分で学費を払えるのなら行っていいよ」という言葉。「学費は親が出してくれるだろう」と甘い考えでいた私は、母の言葉をきっかけに、「自分で学費を払ってでもやりたいこととは何か」を、深く考えるようになりました。
結果的に、専門学校に進学することは断念。高校卒業後も、自分の中の「好き」や「テンションが上がること」を見つけられず、しばらくはフリーターとして生活していました。
――「スタイリストを目指そう」と決意されたきっかけはあったのですか?
20歳のとき、ワーキングホリデーでオーストラリアへ行ったことが、転機となりました。現地の人たちは、自分が好きな格好を楽しんでいて、どんな服を着ていても周りから批判されることはありません。日本とは異なる自由なスタイルを肌で感じたことで、「流行を追うのではなく、私が好きだと感じるファッションを発信したい」という気持ちが高まりました。
また、帰国後に始めた英会話スクールでのアルバイトも、「将来」を考える良いきっかけを与えてくれました。オーストラリアから帰ってきてから、語学力を維持するために英会話スクールの講師を始めたのですが、ある日、生徒から「先生は将来何をしたいの?」という質問を受けて…。その問いかけに、改めて自分を見つめ直すことができ、「やっぱりファッションの仕事をしよう」と、意思を固めることができたんです。
――その後、地元を離れ、東京で夢を追いかけることになったのですね。
そうです。22歳で上京し、ブログで「アシスタント募集」を呼びかけていたスタイリストの元に弟子入りしました。その方は、雑誌『ViVi』などを手掛けていて、私も名前を知っているほど著名なスタイリスト。なんのコネクションもないまま東京に赴いたにも関わらず、すぐにアシスタントとして採用してもらうことができ、本当に幸運だったと感じています。
その後、師匠の元で2年間修行を積み、独り立ちさせてもらいました。独立したての頃は、仕事のスケジュールが埋まらないことへの不安もありましたが、数年経つと、仕事量も安定し、仕事の楽しさを感じられるようになっていきました。
――パートナーとは地元の沖縄で知り合い、学生時代からのお付き合いだったそうですね。
夫は、私が通っていた中学校の同級生でした。中学3年生から付き合い始め、私がオーストラリアに行ったり東京で修行したりしている間も、連絡を取り合って交際を続けてきました。
私と夫は、お互いに「やりたいことをやろう」というスタンスだったので、30歳の節目で結婚した後も、「別居婚」を選択。夫は沖縄で、私は東京で仕事をする生活を続けていました。付き合いが長く、互いの価値観を理解し合っていたからか、「離れている」ということに対しては、私も夫も不安やストレスはなかったように感じています。
32歳で第一子を妊娠。産後2カ月のときに「二拠点生活」で仕事復帰
――第一子を授かったのが、32歳だったと伺っています。妊娠中はどのように過ごしていましたか?
出産は沖縄で予定していましたが、「できるところまで仕事をしよう」と考え、飛行機で移動できるギリギリの週数まで、東京で働いていました。休みの日には、私が沖縄に帰ったり、夫が東京に来てくれたりしていましたが、当時、夫もフリーランスとして軌道に乗りつつあったため、資格の勉強や依頼への対応など、とても忙しそうにしていました。
――夫婦ともに、仕事に全力で向き合いながら、赤ちゃんを迎える準備を進めていたのですね。妊娠中の知念さんのコーディネートも、とても素敵でした。
妊娠中は、「マタニティっぽくないコーディネート」を考えるのが楽しかったですね。大きめサイズを購入しても、あっという間にお腹が大きくなって、「すぐに着られなくなってしまった」などの失敗もありましたが、「妊婦っぽくない服選び」に挑戦していました。
今年7月に第三子を出産しましたが、3回目の妊娠中は、「妊婦さんの体型が魅力的」と感じるようになりました。お腹がぽこっと出ている体型だからこそ、フィット感のあるワンピースなどもセクシー過ぎずに、可愛く着こなすことができると気づき、妊婦さん特有の体型を活かしたスタイリングを意識して、洋服選びを楽しんでいました。
――産後の育児はいかがでしたか?
長男を産んだ直後は、夜の授乳で眠れないとか、おっぱいが張って痛いなど「聞いてないよ〜!」という大変さの連続でした。さらに、私は産休に入る前に、産後の仕事の予定をどんどん入れてしまっていて…。今思い返すと、産後がどれほど大変なのか、想像力が足りていなかったなと感じます(笑)。産後2カ月頃から東京に出張していましたが、体力的にもしんどくて、撮影の合間に搾乳しながら「私、何をしているんだろう…」と後悔しそうになったことも。
それでも仕事は楽しかったですし、波に乗っていた時期だったので、その後も、月に1週間は東京に滞在して、撮影などの仕事の予定を入れていました。また、この頃は、新型コロナウイルスが流行し始め、世の中の働き方が大きく変わった時期。リモートワークが浸透し、東京にいなくてもできる仕事が増えたことで、二拠点生活もスムーズに軌道に乗せることができたと感じています。
――知念さんが東京で仕事をしている間は、パートナーがお子さんのお世話をしていたのですか?
そうです。夫には、「産後2カ月で仕事復帰する」と伝えてあったので、私がいなくても安心して育児ができるように頑張ってもらいました。最初の頃は、「なんで泣いているの?」「ミルクの量は合っている?」など、頻繁に私に聞きにきていましたが、ある日、夫に「私もあなたと同じ『親初心者』だよ。わからないことは自分で調べて」と伝えたんです。この言葉で、夫は「母親も父親も同じ立場だ」と理解してくれたようで、授乳以外のすべての育児を自分の力で行うように。
「子どもが産まれたら、家族みんなで東京に移住する」という選択肢もありましたが、夫も自分の好きな仕事を沖縄で展開しているということもあり、「互いに協力しながら頑張ろう」ということになったんです。
――対等に育児に向き合える、理想的な関係ですね。
私が仕事を続けるためには、夫の理解も必要だったので、同じスタンスでいてくれることは有り難いですね。「父親だから」とか「母親だから」という考えではなく、「父でもあり、母でもある」という感覚。私は育児と同じくらい、「仕事(好きな事)をやり続ける」ということも頑張りたいと思ってきたので、第二子出産以降も、仕事と育児の両立を叶えられていて嬉しいです。
「お土産作戦」で離れている時間を「ネガティブ」に感じさせないように
――育児と仕事を両立する中、お子さんとの向き合い方で意識していることは何ですか?
私が出張に行くことを、子どもがネガティブに捉えないような声がけを意識しています。息子が1歳になった頃、私が出張に行く度に「寂しい」という感情を出すようになりました。「出張=寂しい」という認識を払拭させるため、私は「お土産を楽しみにしていてね」と息子に伝えるように。次第に、出張の行き先によって変わるお土産が楽しみになったようで、最近では「次の出張はいつ行くの?」「次はあのお菓子を買ってきて!」などと言ってくるようになりました(笑)。
出張から帰ったときも、私は「会えなくて寂しかったよ」ではなく、「仕事が楽しかったよ」と伝えています。
――今年7月に第3子を出産されました。今後の仕事についてはどのように考えていますか?
7月に次女が生まれ、わが家は5人家族に。同時に、私の中にある「自分らしい働き方」にも変化が生まれました。
これまでは、「仕事は東京でしたい」と考えて、沖縄に完全に根を下ろすことを躊躇してきましたが、最近では、「沖縄で土台を作ってみてもいいかも」と考えるようになりました。今後のことを考えると、これまでの働き方を続けるよりも、沖縄での仕事の比重を増やした方が、家族の幸せ度が高まると感じたからです。2024年に、沖縄でセレクトショップをオープンさせたこともあり、今後は沖縄での仕事にも力を入れていきたいと考えています。
育児は予測できないことが多いので、計画を立てすぎるとうまくいきません。柔軟な姿勢で、その時々の状況に寄り添っていくことが、私にとっての心地よいスタイルだと、経験を重ねて知ることができました。今後も、育児と仕事に奮闘しながら、「自分のやりたいこと」と「家族の幸せな時間」のより良いバランスを見つけていきたいと考えています。
知念美加子様の役に立ったおすすめグッズ
(1) コンビ「ハイローチェア」
https://www.combi.co.jp/store/baby/chair/nemulila_bedi_sp/
長男が生まれたとき、中腰の姿勢で、ベビーベッドに寝かせたり抱っこしたりしていたら、腰を痛めてしまいました。そこで、第二子出産後に、ハイローチェアを導入。寝返りをし始める月齢までの、お昼寝用に活用していました。ある程度の高さがあるので、腰に負担がかからず快適に使えました。
(2) コニー「抱っこ紐」
https://konnybaby.jp/collections/babycarrier
コニーの抱っこ紐は、薄くてかさばらず、スタイリッシュなところがお気に入りです。体に心地よくフィットしてくれて安定感もあるので、新生児期の抱っこ用としてよく使っていました。贈り物としてもおすすめです。
プロフィール
知念美加子
スタイリスト
1987年生まれ、沖縄県那覇市出身。22歳のときにスタイリストになるために上京し、2年間の修行期間を経て、2011年に独立。雑誌『ViVi』などのスタイリストとして活躍。30歳のときに結婚し、2年後に第一子を出産。その後、沖縄と東京を行き来しながらの二拠点生活で仕事と育児を両立する。2022年に第二子を、2025年に第三子を出産。